福嶋竜也プロと一緒に写っている方は、畏れ多くもあの世界最高峰の権威あるワイメアビッグウェーブコンテストの主人公エディーアイカウさんの実弟、クライドアイカウさんなのです。
DOVEライダー(KI SurfBoardsシェーパー)櫛本氏と親交が有る縁で、ハワイ滞在中の福嶋プロがアポイントを取り、会いに行った時の記念ショットです。
EDDIE WOULD GOのステッカーにサインと、なんと来ていたTeeシャツを脱ぎサインをして戴き、DOVEにプレゼントされました。
クライドさんは、1986年に行なわれたエディーアイカウメモリアルコンテストの優勝者。
今年2月末に行なわれたエディーアイカウメモリアルコンテストに、66歳と言う最高年齢で出場されました。
Clyde Aikau / Photo : Naoya Kimoto
この大会に出るのは最後らしく、その時のチャージした際に肩を脱臼してしまい近々手術を受けるそうです。その勇姿に尊敬の意を表します。
2 月10日にエディーアイカウコンテストのグリーンアラートが表示され大勢の観客が集まり、ワイメアベイを埋め尽くす中、8時間のコンテストミニマムに達し ないと言う事でキャンセルされた。そして、午後からカミングアップして来た海にパドルアウトし板を折ってビーチに戻って来たクライドアイカウ氏を、丁度そ の時滞在していた戸倉会長自ら撮影した貴重な写真です。
66歳と普通では考えられない程の体力と気力の持ち主。
あのビッグウェーブに挑む姿は、まさにリスペクトを超えたレジェンドサーファーではないだろうか。
その世界中のサーファーが尊敬するアイカウファミリーを詳しくここで紹介したいと思います。
カメハメハ王朝の神官(カメハメハ1世の政治を支えるヘヴァヘヴァという最高位のカフナであるカフナ・ヌイの血筋)の家系に生まれる。
1967年、 ワイメアに40フィート(約12メートル)の 巨大な波が立った。 当時ノースショアには、多くの世界的に有名なサーファー達が 滞在していたが誰一人としてその巨大な波に挑むものはいなかった。 そんな中で名もない現地の青年は、さっと現れ海に入っていく。そして、ワイメアの巨大な波に恐怖を感じるのでもなく華麗に乗りこなしていた。その時エディ は21歳。以後、伝説のビッグウェイバー、エディ・アイカウの名は世界中に知れ渡ることになる。
From:ESPN
やがて、その能力を買われてホノルル郡当局からスカウトされ、ワイメア初の公式ライフガードとなり、幾多の人命を救って名声を得る。
サーフィン競技にも積極的に取り組み、デューク・カハナモクに次ぐ先住ハワイ人系プロサーファーの先駆けとなる。
1977年、デュークカハナモク・インヴィテーショナル・サーフィンチャンピオンシップ (通称:The DUKE)で優勝。
1978年、航海カヌー“ホクレア”号にエディーを含む16名が乗り込み2回目のタヒチまでの航海に出る。(1976年5月に1回目の航海を31日をかけて成功させている)
ホクレア号は、エンジンやコンパスとかに頼らず昔のスタイルのままでタヒチとハワイを往復する計画で、アメリカ建国200年を記念して、ホクレア号に乗って「ハワイ民族はどこから来たか?」のイベントから始まった。
ここで付け加ておきたいのは、ハワイに人が住みだしたのはいつか?西暦500年〜900年の間にポリネシアトライアングル地帯(サモア、ニュージーランド、イースター、中央タヒチ)と称される場所から移動してきたということがわかっている。
当時は西洋のようなコンパスや航海計器技術もなく、古代から伝わる航海術、自然の あら ゆる現象、太陽(月)や星、風、波、うねり、雲、潮の流れを頼りに自分達の位置を確認し進むべき方向へと移動する方法(この航海技術をスターナビゲー ションシステムと呼ばれることもある)で、ハワイに辿り着いたとされている。
だ がこの日は強風波浪注意報が出ているのにもかかわらずホノルルを出航し、深夜、モロカイ海峡で転覆遭難してしまった。勇敢なエディーは救援を要請しに荒れ 狂う暗闇の中、サーフボードに乗って光が薄らと見える方角(ラナイ島)に向かうが、消息を絶ち帰らぬ人となってしまった。(船で待っていたクルーは、オア フ〜ハワイ島の最終飛行機便に信号弾を発見され助かった)
そして、彼の英雄的な行動と悲劇的な最後はハワイ社会において伝説となり、死後、先住ハワイ人の英雄となる。
現在のホクレア号の船尾には、エディーアイカウの名前が刻まれたプレートが飾られている。
エデイアイカウはビックウエイブを愛し、人を助けるというアロハスピリットを持った本当のハワイアンで、彼がいった言葉に“人生で大切なことは競争じゃな い。家族を思い、愛し合うことが一番大切なことなんだ” と、胸に刺さるような言葉を残していった。これは私達サーファーの誇りであり、伝説として永遠に後世へ語り続けられることでしょう。
1986年、彼の功績を称えたエディアイカウメモリアルコンテスト、通称「The EDDIE」がスタートした。
: 5Year Anniversary Poster
こ の大会は、不定期で開催されており、彼がこよなく愛したノースショアのワイメアベイに25フィート以上の大波が入らなければこの大会は開催されない。毎 年、招待選手を選出し今期で31回目を迎え、前回(2009年)から6年振りの今年2月に、9回目のコンテストが開催された。
また、「彼の生き方を称えたフレーズは「Eddie would go」(エディなら行くぜ)で、毎回行なわれる度にこのフレーズをWEB上で世界中にインフォメーションしている事も有名である。
実弟のクライド・アイカウ(Clyde Aikau)氏も超一流のプロ・サーファーで、「The Duke」・「The Eddie」を勝っている。
From : Wikipdedia&Google:Photo
クィックシルバー公式サイト:エディーアイカウの歴史 https://www.quiksilver.co.jp/eddie-aikau/history
そして、この大会に唯一日本人選手が招待されたのは歴史上2名しかおらず、
双方、DOVEライダーの久我孝男と脇田貴之と言う誇り高き名誉である。
Takao Kuga : 1990,Jan
Takayuki Wakita : 2009,Dec / Photo:Naoya Kimoto
Takayuki Wakita : 2016,Feb / Photo:Naoya Kimoto
波伝説『North Shore Daily Clip』2/25、エディーアイカウ
Takayuki Wakita @ Eddie Aikau : https://www.facebook.com/namidensetsu/videos/1042852242449097/
これも縁と言うか、41年目を迎えたDOVEの歴史上に深く刻み込まれる事となった。
今後又、新たな歴史に残るライダーの活躍が楽しみである。