2025.05.16 |
2000年の5月、鯉のぼりが空で泳ぐ新緑の季節。
シークエンスの社長、蛸から電話があり、南アフリカからシェイプに来ているスポウリーが「マダガスカル(西インド洋に浮かぶ、アフリカ大陸の南西部)には、まだまだサーファーなどいなくて、手つかずの大自然が残っており、人里離れた秘境的な場所でサーフポイントも沢山あるから行きましょう!」と誘われた。それを聞き、久しぶりに胸がワクワク熱くなった。
そうだ千葉には、南アフリカ出身のDOVEライダーのテレンスも居るので、誘って行こう!と決めた。この企画を雑誌社SW(サーフィンワールド)とカメラマンのキン(木本直哉)に話した結果、話は即まとまり、いつも通りあとはライダーの人選と旅行社との交渉だけとなった。未開地マダガスカルの出発の準備が整ったのは、6月の初めだった。
このトリップは、ダブウェットスーツ創立25周年記念のサーフトリップとなった。
成田 → シンガポール → レユニオン → マダガスカルと日本から30時間位の飛行機の旅は、いつも通り最初からトラブル発生。
サーフボード8ケースで計35本、スーツケース8個と軽く重量オーバーで50万円のチャージ料を飛行機会社から請求されたが、あの手この手で、1時以上の格闘の末フリーとなった。今では考えられない出来事だ。成田空港を出発前に未開地マダガスカルのバージンウェイブをサーフィンする楽しみを想像しながらいざ出発のメンバー。
レユニオンでのトランジット。この島は、フランス領で、サン・ルーという世界的にも有名なグーフィーのポイントで1970年初めに日本でも公開されたサーフィン映画で、「忘れられたサントシャ島」を見た事がある俺はこの島なんだと昔見た映画を思い出した。たまたま今年ハワイのサーフショプでそのDVDを見つけて即買ったけど、残念ながらヒビが入ってて見れなかった。
30時間かかった飛行機の旅でたどり着いたマダガスカルの首都アンタナナリボは、標高2500メートルの高さにある街で思ったより肌寒く驚いた。街は、古いフランスの植民地時代の建物が残ってる中、真っ黒な人々でごった返し、道端で寝ている親子や狭い道をボロボロの車がクラクションを鳴り響かせ、俺たちの乗ってるマイクロバスめがけて、物売りの大人や子供が押し寄せて来た。まだまだマダガスカルは、発展途上の国だ。
次の日最終目的地、チュレアール(この地名は、旧名で今はトッリアラに変わった)の飛行場に着くと、1人の白人男が待っていた。この男トニーがこれからの俺たちのガイドと船のキャプテンだ。俺たちのサーフボードと荷物を出際よく4WDのトラックに積み込みチュレアールのアンティークな町並を通り抜けて、砂漠を走り過ぎようやく、サーフキャンプにたどり着いた。全員が明日からのサーフィンを心から楽しみに笑顔になっていた。
このキャンプから一望する景色は、雲1つ無い真っ青な海と空と
俺たちをいつでも待っているフーノーズ。
海からキャンプを一望する。何一つ建物もなく、人里離れた手つかずの大自然と秘境のポイントでサーフィン出来る貴重な基地である。
このキャンプからは、パドルアウト出来るポイントは無いため、全ては、トニーが船長となって、俺たちサーファーをポイントまでの送り迎えをしてくれる。船の船名は、フーノーズというカタマランだ。
初日の朝日の出と共に、フーノーズにサーフボードとウェットを積み込み遥か遠くに見えるレギュラーのポイントを目指して進むが、何せスピードが遅くて中々ポイントに近づけない、確かにカレントもあるけど、それよりもエンジンの小さいのに驚いた。ポイントに着きアンカーを下ろして、ファーストラウンドの始まりだ。このポイントはこのトリップで1番多くサーフィンしたレギュラーのポイントチリチリライト。俺にとっては、待ちに待った一本のセット
早朝フーノーズに乗り込む、毎日の日課がチリチリライトか、デューンレフトに行く為に通る砂漠の中にある漁村の景色は、この島でしか見られない空気と匂いと色と歴史間。
サーフポイントに行く途中、フーノーズのすぐ脇に、10メートルはありそうな巨大なザトウクジラが現れた。背中についてるフジツボもハッキリ見えた。ザトウクジラたちは、南極の冷たい海から、繁殖と出産の為に温暖なマダガスカル近海にこの季節にやって来るようだ。
3人の日本のグランドチャンピオンと地元ローカルでトニーの下で働くマダガスカルアンのパトに囲まれて、最高の気分の俺。
マダガスカルで有名なバオバブは、他の木と比べてもあまりにも大きく長寿で、目立つ存在だった為、神様が嫉妬し、罰としてその木を引っこ抜き、根を空に向けて逆さまに植えた。と言う伝説がある。
町の探索で、日本で言う人力車、マダガスカルでは、プスプスと呼ばれてる。フランス語で「押す押す」らしい。俺とキンちゃんがチャレンジ、1時間位町を見て回って無事に帰れた。
町の探索の帰り道に小学校の様子を見学した。
小屋の様な学校で、黒板があってもチョークが無かったりで、雨が降ると雨漏りで授業が中断したり、教材も限られていて、一冊の教科書を数人で共有することもあるらしい。俺が行った25年前の話しだけど、子供達は、目をキラキラ光らせ生き生きしてた。
デューンレフトの気持ち良い波で、仲間だけの貸し切りのポイントで、リラックスしてバックサイドでのサーフィンを楽しめた。
このトリップで初めて出会ったサーファーは、フランス人3人でボードの上で、地元の女の子供を素っ裸で泳がせて遊んでるのには目がまん丸になった。
南アフリカからシークエンスにシェープに来ていたスポウリー、現役当時孝男とASPのツァーを回ってた事もある、コンペティターだけあって、アグレッシブルなサーフィンを見せていた。
デューンレフトに行く途中の漁師村から漁に出小さい船は、朝のオフショアの時に帆を立てて沖に向かい、昼のオンショアで帆を立てて帰ってくる。自然界の流れで動力をいっさい使わず、漁師の遥か昔からの教えと生きかたなんだろなぁ。
ワオキツネザルは、マダガスカル島南部に生息しており、自然界ではこの島以外には存在しません。ワオキツネザルはマダガスカルの固有種で、マダガスカルを象徴する動物でもある。沼ちゃんとワオキツネザル
福地孝行(タカ)のサーフィンの戦歴は、凄い歴史が物語ってる。
このトリップで1番通ったチリチリライトのポイント。青空の下で、貸し切りの4〜5フィートの波をチィームライダーが俺の目の前で切り刻むサーフィンを見ながら俺も自分に適した波を見つけてテイクオフ。
大潮が近づいて、潮が引きすぎて、潮が上げるの待つ時間が長いので、カタマランの先端のネットの上は、極上のベッドに早変わり。
乾季なので、毎日毎日が晴天なんで、インド洋に沈む夕陽は、飛行機雲1つ邪魔する物がないので、1日が終わり夜を迎える為の数時間の楽しみだ。
この場所、この空気、この気候、いつも貸し切りのポイント、波のクオリティ、最高の仲間、ゆっくり流れる時間、異次元の世界観、のトリップにご機嫌の俺と蛸、思わず笑顔。
サタデーナイト、マダガスカル劇団がやって来て盛り上がる。独特の高い声と手作りのギターと太鼓の音で深夜までキャンプに響きわたる。ボク・マーレーも狂いだし、オリャ・マーレーも登場してレストランは、盛り上がって炎上した。
サーフィン専門誌のカバーショットを飾る事は、サーファーにとっても、写真家にとっても、金メダルを取るのと等しい。
サーフアーティストとして、この旅を楽しでいた、テレンスローター、ダブウェットスーツの25周年記念を雑誌の広告と記念に皆んなのサイン入りのTシャツにデザインしてくれた。
テレンスローターが残したマダガスカルのサーフトリップを描いた絵。
未知なる波を求めての旅だった81年のニアストリップ以来、感動を再びこのマダガスカルで堪能した。
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