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1984年カタンドゥアネス島(フィリピン)ポララン

会社が始まって10年の歳月が過ぎ、ライダー達はハワイノースショアでのビックウェーブでも確実に成長してきた。日本のプロコンテストでは、ぶっちぎりの成績を残して少しずつ日本のサーフィン界の歴史を築き上げてきた。

この年は、柳沢純一が今はもう消滅してしまったポイント茨城の阿字ヶ浦マスターでの初優勝と今須信政がオールジャパンプロで初優勝とルーキーオブザイヤーに輝き、添田博道は念願のグランドチャンピンオンを獲得した。

マニラのドメスティックターミナル Photo 水口知己

この年カメラマンの水口君から、フィリピンに出来立てのサーフキァンプがあるからと誘われたのでルーキーオブザイヤーになった今須をを連れて行く事が決まった。

マニラ市街 Photo 水口知己

マニラから飛行機で1時間半位で目的地カタンドゥアネス島に到着。

めちゃ小さな飛行場からトラックでガタガタ道を走り、ホコリと汗でボロボロになった俺。町は台風が来たら全部すっ飛びそうなトタン屋根で簡単にできていた。やっとの事でポラランというポイントへ到着した。

まだ建設中だったポラランサーフキャンプ Photo 水口知己
現地のこどもたち
建設途中のレストラン。ポイントが見渡せる

ワォー!
コンパクトな湾のセンターから、肩から頭くらいの波が、規則正しくブレイクしていて、ようこそ早く来なさいライナップに!と呼ばれてる様だった。

まだ手つかずで誰もいないポイントでの不便だらけのサーフキャンプだけれど、目の前の景色は、空気も空の雲も海の色も山の緑も俺の視界の中は全てがクリアで、とても新鮮で幸せな気持ちになれたなぁ。

誰も居ないポイントのピークにたどり着くには珊瑚と藻の間を上手にそっと通り抜ける技が必要だ。

ここのサーフィンは、一切波の取り合いなどあり得ないから、次々と現れるいい波のその中から又自分の好みの波を自由に選んで乗れるとても贅沢なポイントだった。

気持ちよかったボトムターン Photo 水口知己

何と言ってもここの波の特徴は、チューブの中から見える景色だった。

今でもはっきり思い出せるチューブ Photo 水口知己

ブルーに透き通るフェイス(波の壁)が、水面下の珊瑚の色が赤、青、緑、ピンクと色とりどりの色が混じり合い朝、昼、晩、と太陽光によって景色が変わるのだ。

何回入ったかわからない・・・大好きなチューブ Photo 水口知己

特に夕方はレギュラー方向に夕陽が沈む関係で、このタイミングでのチューブライドで見るフェイスの色は光る珊瑚の色とりどりが混じり合い、ダイヤモンド以上に輝いてたのは今でも鮮明に覚えてる。

そりぁ笑顔にもなるよ Photo 水口知己

そして海から見る景色は、周り全部見渡しても、コンクリートが見えない大自然の中でのサーフィンが楽しめるのだ。

左から俺、小川修一、田川登

この場所にいたら、皆んな自然に白い歯見せてニヤニヤしてしまうんだよ。

後から1人たどり着いた。道産子、田川登。

レストランからの眺めは、幸せにしてくれる。

この時のメンバー。左から故奥田しんじ、俺、斎藤さん、小川修一

このキャンプのマネージャー斎藤さんと知り合いで、俺より先にこのポイントでサーフィンをしていた小川修一。

プロになった1年目今須は、いきなりオールジャパンプロコンテストで優勝して、ルーキーオブザイヤーになったのでご褒美のトリップだった。

毎日毎日、頭くらいの綺麗な波を貸し切りで、サーフィンを満喫し、とても良い気分で帰りの飛行場に無事に到着したが、ええー何と!!!飛行機が飛んでこない!!!
という事は帰れない・・・

でも俺と今須は翌日のマニラ発成田行きの飛行機にどうしても乗らなければいけない理由があったのだ。それは今須が獲得したルーキーオブザイヤーの表彰式に間に合わないからだ。

俺は責任を感じて、ダメ元でマネージャーの斎藤さんに相談してみたら、小船で7~8時間で、マニラ空港があるルソン島に着き、そこから車で飛行場まで4〜5時間かければ何とかなるかも、どうしても帰りたいなら、私が着いて行きますよ!と言われた時、俺は即答した。

お願いしますとは言ったが、かなりの危険を覚悟した。

飛行場の近くに海があり、別に港でも無い汚い沼みたいなところに、小さい舟があり、その舟に俺と斎藤さんと今須と船頭と4人で乗り込み、寂しく皆んなに見送られ、夕方カタンドァネス島を出発した。

すぐに暗闇の海の中に小さい電気がマストの上に1つだけ。幸いウネリは無くパシャパシャと軽く塩水がかかる位で済んだ。新月で真っ暗な闇の中、行き交う舟も全く無く、満天の星とたまに見える島の灯りを頼りに闇の中を進んでいる。船外機の音だけが規則正しく聞こえ、俺達は言葉も無く命をこの舟にゆだねるしかなかった。

恐怖の舟旅は終わり、真夜中にちいさな漁港にたどり着いた。
暗闇の中、道路の脇や家の前に止まっているジプニー(乗り合いタクシー)の中には必ず何人かの人が寝てるのはびっくりした。

斎藤さんは1台1台声をかけて、やっとの事でマニラ飛行場まで行けるジプニーを探してくれた。海賊や強盗など当たり前のフィリピンで、夜中に知らない港町での斎藤さんの行動は、肝がすわってて、根性がありそうで、ケンカも強そうだったから凄く心強かった。ジプニーは順調に俺達をマニラ飛行場まで送り届けてくれ、何とか予定通りの成田便に間に合った。もし斎藤さんが居なかったら、今須は一生に一度の晴れ舞台には出れなかったのだ。斎藤さんはとても優しい日本男児だった。

ここポラランのサーフキャンプは、台風の被害受け今は消滅していると聞いた。

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