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【日本へ持ち帰った、最初のトライフィン】日本のサーフボード史が動き始めた1981年

1981年春、世界のサーフィンの動きを見たくて、オーストラリアのサーフアバウト・コンテストを見に行きました。

このコンテストで、サイモン・アンダーソンがトライフィンで優勝して、サーフボードの歴史が変わる瞬間を見れた事は、忘れられない出来事です。

eos.surfより引用

サイモンの、この年のトライフィンでの挑戦は、スタビーズから始まり、この大会では波が小さく、1回戦でモーリス・コールに敗れて、トライフィンの評判はまだ低かった。当時はまだ、シングルフィンとツインフィンが主流だった。

ところが、その1か月後、ベルズビーチで開催された大会は、記録に残るような15フィートの大波の中でスタート。サイモンは、6’6”のトライフィンでこの巨大な波を乗り切って決勝戦に進むが、波は急激に下がり、小波となった決勝戦では、6’1”のトライフィンでシェーン・ホランに勝ち、優勝を果たした。

サイモンが、まだ注目されていないトライフィンで、ベルズビーチの巨大波と小波の両方で勝って見せた大会だった。

この年のベルズの大会は、トライフィンが世界に認められた大会だった。

1981年、ベルズビーチ、コークサーフアバウト、パイプラインマスターズと、世界最高レベルの大会で優勝した。トライフィンでの三連勝は、サーフボードの歴史を次の時代へ切り替えた決定的な出来事で、俺はラッキーな事に、その出来事の真っ最中に居て、マジックハンドと言われていたロニー・ウッドワード・シェープのトライフィンを買い、日本に持ち帰る事が出来た。

サーフィンクラッシより

日本に持ち帰り、すぐに仲間のサーフボードファクトリーへ送った。そのボードを見本に、日本のシェイパーにトライフィンを削ってもらい、1か月後に予定されてたニアスのサーフトリップに間に合うように段取りをした。

ロニー・ウッドワードのトライフィンは、今までに経験した事のないサーフボードの動きを感じとれた。大磯でフィンが抜けるぐらいのボトムターンをしても、3枚のフィンがあるため抜けずに安定していて、想像以上のスピード感を味わえる。

1981年大磯にてトライフィンをテストする

新島のハブシ海岸は、昨日まで無かった波が、奇跡のように急に現れた。

レギュラーのオーバーヘッドのチューブの波。テイクオフから、自分でも驚くほどトライフィンの調子が良く、スピードとコントロールのバランスもとても良かった。思うようにサーフボードを動かす事が出来て、気持ち良くハブシのグリーンルームに包まれて行った。

サーフィンクラシックより
サーフィンクラシックより ハブシでボトムターンを決める
この日のハブシのラインナップ。1981年8月31日

ハブシのグリーンルームにすっぽり包まれた後、ビーチに無事戻って、白い砂浜を歩く幸福感。思わず笑ってしまう。

このボードこそ、本物のマジックボードだった。このボードが映ってる写真は、ここに出した3枚しか無い、大切な写真なのだ。

この時代にジェリー・ロペスがインドネシアG-ランドで履いてサーフィンをしていた水泳用パンツが、カッコ良かったので、すぐに真似をした。

このあと、日本でもこのパンツスタイルが流行った

この年の冬、12月から、ワイミアにあるマーク・フーの家をレンタルしていた。ノースの小さい波で使おうと、その大切なマジックボードを持って行った矢先に、その家に泥棒が入り、俺のボードを含めて合計5本盗まれた。

俺のマジックボードの命は、6か月と短かったけど、今でもあのボードの乗り味は、はっきりと覚えている。

1981年12月、ノースショアー・アタックに燃えるダブチームとカメラマン。ノースショアーのワイメア、マーク・フーのレンタルハウスでの1枚の写真。

左からマメ増田、中和房、近藤公朗  前から戸田友康、中村大輔、俺  右から蛸操、小川秀之

そして、俺が日本へ持ち帰ったトライフィンをもとに、俺の仲間のサーフボードファクトリーが削ったトライフィンは、1か月後のニアストリップに間に合った。

そのニアスに行くと、最新のサイモン・シェープのトライフィンボードを、オージーのアルが持って来ていたのには驚いた。

一番左のボードはサイモンアンダーソンシェイプのレアな一枚。そして、二アスの波を見つめる市川武昌。
1981年サーフィンクラシックより「DOVEの広告」

1981年、サイモン・アンダーソンがトライフィンで、サーフボードの歴史を変えた。

そして2018年、WSLが初めてウェーブプールで開催した大会「ファウンダーズ・カップ」の表彰式に、サイモン・アンダーソンがトライフィンを持って現れた。

ベスト・エアー賞を受賞したジョン・ジョン・フローレンスに、サイモン・シェープのトライフィンを手渡した。

また新しい時代の始まりとなった、ウェーブプールでの大会。

歴史の変わり目には欠かせない男。それが、サイモン・アンダーソンなのだ。

サイモンはスラスターを特許で独占することなく、サーフィン界全体へ広がる道を選んだ。

サイモン・シェープのトライフィンをサイモン自身が手渡した

今でも、1981年、45年前に日本で最初に作られたトライフィンを、会社の玄関に大切に飾ってある。

1984年、フィリピン・カタンドゥアネス島のポラランで、ロニー・ウッドワード・シェープのボードに乗り、未開地のクリーンな波を楽しむ。

ポラランで気持ちよかった
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