2022.03.31 | DOVEライダー ブログ
ハナレイの魔物(カウアイ修行編#2)
少し前の記事でののカウアイ島修行編の続編、2年目を振り返りたいと思います。
ノーリーシュでの教えを、日本でも密かに取り入れ、無人のビーチでただガンを乗りまくる時期が続いた。
ショートボードのコンテストサーフィンを捨て、ただ10.2のGUNに、膝波1feetから10feetまで、全てGUNに乗りまくった!
西村栄治さん“唐津虎の穴チーム“とも九州〜四国、関西に中飛び回ってGUNを乗りまくり、GUNの日本文化に触れた。
宮崎のbigwaveシーンの代名詞の“カレンズ“でも自分の乗るポイントを確立したのもこの時からだろう。
日本宮崎でしっかりGUNを乗りまくり自信をつけて2年目の“カウアイ島“3ヶ月修行しにいった。
といっても、また唐津の“サーフ虎の穴“西村栄治さんチームと合流するのだが、今回はそう行かなかった。
今年から栄治さんの息子さん“西村晶馬、イチゴ“と家族で過ごすからと言う事で、カウアイ島で合流するなり、車から降ろされ“じゃあな“と言われた。
“じゃあな“と言われてもここはハワイでもジャングルの様な道端で下され、「僕はどうすれば?」と栄治さん「ヒッチハイクでもしてどっかで泊まれさ、また明日な」と…
一年目は栄治さんチームの鞄持ちでべったりで、地理やホステルの場所なんてわからないし、WiFiもない、どこに居るかも分からない状態から、カウアイ2年目が始まった。
流石、虎の穴チーム、“獅子は谷底に突き落とす“とはこの事だと勝手に燃えてきて、人生初のヒッチハイクをし始める。
しかし、2時間くらしてもまったく捕まらない…コツがいるのだ。
しかも、ヒッチハイカーが沢山路上で、親指を出してる中、日本人が照れながらやっても到底捕まらない。
暗くなってようやく、祈りを込めて一台のトラックに乗せてもらえた、運転手に地理や宿を聴くと、“カパー“という街の安宿を案内された。
一泊30ドルの素泊まりで、仕切りのない8人部屋で、アメリカンなジャンキーばかり、何故か男にも女にもモテモテだった、よほど日本人が珍しいかったと見える。
それから毎日バスに乗って、bigwaveポイント“ハナレイに1時間かけていく毎日が始まった。
幸いGUNは、ハナレイビーチの草むらに隠しておけてたので、なんとか身体だけ迎えばサーフィンはできた。
毎日8時前にハナレイビーチにつき、“虎の穴チーム“とノーリーシュでGUNに乗り、帰りは暗くなるので、ヒッチハイクして宿にかえる。
そんな日々が10日くらい過ぎるくらいに、毎日この繰り返しがしんどく感じてきた。
ハナレイビーチで毎日掃除して、ヨガをする東洋人らしい男がいた。
ある日話すと、車で生活して自給自足をしてると言う…彼に昼メシなどをつくって貰う内に、僕ももっと自由に過ごしたくなってきた。
彼の名前は“サム・ユーン“韓国人でオーストラリアに住むシェーパーで子供2人と奥さんと車中泊をして波を追う生活をしている。
何か凄いエネルギーの持ち主で、彼からは色々なサバイバル術を見せてもらった。
車の中には、討ち取った鳥が、首がない状態で、何匹も吊るされていて、野生に育っている、マンゴーやバナナ、ココナッツが常にあった。
その内、地元の先輩“小森タカシ“がカウアイ島に到着して合流した。
小森くんもキャンプを愛していて、車一台とテント生活をするつもりだったので、僕も便乗して、安宿ヒッチハイカーから足を洗う事ができ、キャンプ生活が始まった。
テントを50ドルで買い、飯は何時も小森くんとシェアして、枯れ葉を集め火をつけ、肉や米を炊いてたべた。
カウアイ島は、“雨の島“とよばれていたため、マンゴーの木の下で寝た、朝4時になるとテントを張ってる周りにニワトリが沢山きて、新鮮な落ちてきたマンゴーの取り合いでニワトリが“コケコッコー“と泣き叫ぶ。
寝れたもんじゃない。
仕方ないので、僕らも起きて負けじと新鮮なマンゴーを拾って朝飯のパンとコーヒーの準備。
目の前には、無人のパイプラインの様なブレイクする波がずっとわれてる。
カウアイ島は、ハナレイ以外に沢山の素晴らしい波が無人でわれている。
パイプラインやおフザウォールの様な波は何処でもわれている。
波を求めて、島をグルグル、ビーチ沿いでは、5ドルはらえば何処でもテントをはれ、サーフィンを好きなだけできた。
そしてついに、大波がやってくるとサーファーがざわつく。
波情報でも10feetオーバーの波が連日続く。
小森君と僕は、その日あまりの大波に萎縮する、ビーチはなくなりなみが押し寄せる。
何時もノーリーシュコードだったが、その日は流石にリーシュコードをしていこうと2人で話した。
しかし、小森君が直前で“やっぱりなしでいくよ“という。漢を感じた。
僕を震える脚を抑えながら、“俺も無しで行く“と精一杯の勇気を振り絞って声を
出した。
前回、びびってリーシュコードをして、腹を切った経験があるので、リベンジ戦が2年目できた、ハワイでの屈辱はハワイでしかかえせない。それが海の掟だ。
沖に行くまで、心臓が痛いほど鳴る。
失敗したら、とてもじゃないけど泳いで帰れない。
“決めるしかない“
今ままでの修行、日本での修行、呼吸を細め集中する。
目の前には、山の様な10feetの400mバレルの壁、美しく規則的にわれるが近づくと物凄く早く力ずくよ蠢く。
長い波だが何処からでも乗れるわけじゃない。
乗れる場所は限られてていて、ハワイのGUNのりの猛者が次から次へと乗ってくるし、失敗したらノーリーシュなんで終わりだ。
小森くんと、ジリジリとゆっくりピークに近づく…その時、ピークからサムさんがこっちだ急いで!とパドルする様に指示された。
そして、僕らに乗りやすいドンピシャの波がきた。思わず、小森君のポジションがドンピシャだったので“go go”というと最高なテイクオフをきめていった。
次の波まさかの同じような素晴らしい波が目の前にきた。
いい流れの中、我武者羅にパドルした。
完璧のラインでハイラインをキープして400mの壁を滑りきったー。
もう十分だった。
小森君も僕も安堵の気持ちで帰ってきた。
最高にサバイブしていた。
サムさんはまた、違う次元のサーフィンをしていた、それから彼を目標にしたハナレイの修行の日々が続いた。
ハナレイの魔物、それは自分の中にいたのかもしれない。
自分の限界、恐れや、幻想から逸脱して我武者羅になれた事、それを一緒に克服できた経験をした、地元の先輩小森くんと、それを導いてくれた“サム・ユーン“
僕はこの経験を細胞レベル、染色体レベルで刻まれたと思ってる。
こんな1日“the day”がたまらなく好きだし、そしてここに導いてくれた、kisurfboardサーフ虎の穴、西村栄治さん。
何より25年通い続け、それを追い求め背中をみしてくれてるbigwaveシェーパー櫛本さんには感銘しかない。
是非きかいがあるなら、この地にいきノーリーシュコードを試すといい。
サーフィン大波の本質がわかるだろう。
bigwaver
山本博也
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