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ニック邸とサンセット村

ニック邸とサンセット村

皆さん、ごきげんよう。

ニック野崎です。(冗談です笑)

すいません。

月刊DOVEブログの山本博也です。

今回のお話は、僕が始めてハワイオワフ島に行った時のサンセット村と呼ばれてた生活の話です。

始めてハワイに行った時は20歳の頃でした。

宮崎の地元一ツ葉で育った僕は、同郷の中迫ケンゴpro”に誘われて、初ハワイ行きを決めた。

世話役には、同じく一ツ葉出身の小森たかしさんがつきそい一緒にハワイに行った。

始めてのハワイ、ワクワクしながらホノルル空港に着くと、今から迎えがくるからと小森さんが言い、確か1時間弱ほどホノルル空港のタクシー乗り場で待っていた。

陽気なハワイの風に当たりながら待つと、すくっと小森さんの背が伸び軍隊走りの様に、一台赤いピックアップトラックに駆け寄った。

車中を除くと、アメリカバンダナに革ジャンノンスリンーブにいかついグラサン焼けた肌の50歳くらいの反社ぽいいでたちで、不思議オーラを纏った海賊がいた。

見た瞬間日本に帰ろうかなと思うくらい、その場でどうしていいか分からずいると「車に荷物を積み乗れや」とダミ声の関西弁もはやハワイの陽気さは何処かに飛んでいきそうだった。

車に入ると太い葉巻を咥えながら、どうもニック野崎ですよろしくとクシャッと笑い気さくに握手してくれた。

見たことない大きいハイウェイを抜けて、赤土のパイナップル畑を切り立った山脈をよこ目に走っていく。

ハワイアンの音楽を聴きながら、ニックさんは小森さんと楽しそうに笑いながら話していたが、その会話のほとんど僕はワイルド過ぎる関西ハワイ弁で聞き取れなかった。

赤土のパイナップル畑の長い一本道を下っていくと、霧だった向こうに青い海が見えた。

「ノースショアだ」

「波まぁまぁあるで」とニックさん、小森くんはワクワクした様子だ。

僕も次第に緊張がとれ、ようやくハワイの雰囲気を味わいはじめていた。

宿に着くと、何やら大勢の日本人サーファーがいた。

何も聞かされてない僕は、中に入ると驚いた。

雑誌やビデオでみるトッププロサーファーが普通に沢山いる。

田舎育ちの僕は緊張して、ろくに挨拶できないでいたが、どうやらこの人達は全員ここに住んでるらしく、その中には女性のトッププロも56人いた。

 「コモちゃん、ピナリこっちや!」とニックさん。

どうやらヒロナリが略されてピナリと既にあだ名がつけられていた。

2階建と、大きいハワイアンの平屋が連なっており、広い中庭と裏庭がグルリと建物の周りを囲い、歩いてすぐに有名なサンセットポイントが裏にあった。

ここに10人以上が住み込むトップサーファーの下宿所だったのだ。

その裏庭の一部屋に案内され、ここで生活する様に言われた、そこには2人の若いサーファーがいた。

鎌倉の佐久間タイスケ君と、沼田ユウイチ君だ。

当日みんなアマチュアだし若手だったので、4人で一部屋、2段ベッド2つと、キッチンテーブルがある8畳ほどの部屋でハワイ下宿生活が始まった。

佐久間(.タイスケくん)は、故佐久間洋之介さんの弟で、沼田(ユウイチ)くんは鎌倉同郷の親友で、宮崎の田舎弁いじられながらサンセットを中心にサーフィンをしながら、自炊や洗濯掃除をともにした。

何故ニック邸にこんなにプロが、下宿していたのか、それはハワイは物価が高いから。

なので、ハワイに家を持つ日本人の家に皆んな寄り添って日本人が住む家がサンセットの周りは何軒もあった。

なので、それを外から見た人たちはサンセット村とよんだのだろう。

しかし、ニック邸にプロ集団が集まるにはもう一つ理由があった。

この主人であるニック野崎さんが、日本人bigwaverのパイオニアだったからだし、その人柄にみんな親しみを感じていた。

そのbigwaver集団の住処が、隣の二階建ての家で、そこを束ねていたのが、同郷の大先輩中迫ケンゴさんであった。

しかし、当時20歳そこらの小僧だったぼくは、ただサーフィンをしにきただけだったので、上下関係が非常に厳しかったニック邸ではとにかく怒られまくっていた。

何を怒られたなんてわからないくらいとにかく怒られた、マインドも挫けていた僕はその年1ヶ月で7本もボードをおった。

サーフィンだけをしに来ていた感覚でいた僕は当初わからなかった。

今では、そこでの生活も海の中でも一緒で、人の気の使い方や気配り、人としての気持ちよさなど、人が海であろうが陸であろうが一緒に生きていく中で楽しく過ごすためのマナーがなってなかったことを教えてくれていたのだと思う。

たまに、落ち込んでる僕をニックさんは1人部屋に呼んでくれ、ウクレレを引いて諭してくれたり、ハワイの伝説の話をしてくれたりして励ましてくれた。

僕も次第にニックさんの魅力を感じていたし、自分やまわりを全てありがたくうけいれることにした。

そうして心地よく陸での生活をしてるといい波にのれたり、いい出会いが訪れた。

サンセットビーチの海の中でもそんな気持ちを継続していると、自分の身体の中に鱗ができた様にパドルが伸びたり、波一本一本が辞書のように海の摂理が自然と僕の中に植え付けられる感覚になった、それは今でも僕の中に生きている。

きっと海の神様がご褒美をくれたんだなと思う。

今の若い子達には上手く伝わらないかもしれないし、こんな怒られる想いはしたくないと思っちゃうかもしれないけど、僕はほんと叩かれ続けてよかったと思う。

ALOHAな気持ちを感じられたから。

たまに日本にいると忘れてしまう事がついついあるからまた戻りたくなる。

同じ島国でも、きっと海でも陸でも一緒なんだし気持ちよく同じ空間をシェアするように努める事で物事はきっと上手い方向にすすむ。

一度はハワイに行くといいだろう。

そしてサンセット村の方達にALOHAな気持ちで挨拶してみて、きっとクシャッと笑顔を見せて握手してくれるから。

DOVEライダー

山本博也 

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