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1979年の日本海・京丹後浜詰海岸

今から40年前。
1979年 ダブウェットスーツの看板ライダーの添田博道と渡辺文好を連れて、日本海へサーフトリップ。
この頃の添田は、ハワイやオーストラリアのコンテストでも活躍し、日本を代表するサーファーとなっていた。この年のオールジャパンプロコンテストで、添田が優勝し、渡辺文好は2位の成績を残した。

確かこの時は、京都の友達の家に一泊し、色々情報を得て波がありそうな京丹後方面の浜詰海岸に向かった。

 

見慣れない風景をロングドライブの後、やっと浜詰海岸に到着。
温泉旅館がポツポツあり、そこに広がる綺麗なビーチには腰から肩ぐらいの波が俺たちを待っていた。

シングルフィンの時代、見知らぬ土地での初めてのサーフィンには心が弾む。


おっと!後ろにサーファーがいた。ごめんなさい。

 

確かこのポイントは、右側に川が流れている河口で、でかい松の木があり、その向こうにブレイクしてる波と後ろに広がる山々は、長旅の疲れを吹き飛ばすくらい、美しい日本の景色だった。

2、3日サーフィンしていると、自然に地元のサーファーが集まりだし、直ぐに仲良くなり、一緒にサーフィンして、夜は日本海の海の幸をご馳走になり、毎日友達が増えていった。

この時出会った地元のサーファーは、今は亡き家城君。そして、エビス君、今井君、平井君、井上ダイ君とユキヒコ君がいたと記憶している。

この時、大阪から来ていた確かアンクルと言うサーフビジネスをしている、オギクラ君かハギワラ君。間違ってたらごめなさい。

この頃、サーフィン雑誌が出来たばかりで、その雑誌すらなかな見ることも出来なく、今みたいにDVDやSNSの動画などはもちろんない時代に、日本のトップサーファーの新しい技と流行りのテクニックを見せる2人と一緒にサーフィン出来ることが、地方のサーファーにとっては、なんとも喜ばしい出来事で、本当にみんな喜んでくれた。

車のボディーサイドにロゴマークを入れて全国波のある地方に選手と旅に出る。
ある時はカメラマンも一緒にサーフトリップに出かける。こう言う旅は、いつもゆっくり話せない選手とのコミニケーション、そして、選手たちのサーフィンを見る絶好の機会でもあった。
そして何よりもウェットスーツのテストと撮影や営業をかねて、一年中波がありそうな地方のサーファーと連絡を取り合い、大好きなサーフィンを通じてビジネスを出来た事は何よりも幸せだと実感した。

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