1985年小笠原諸島・父島(角川書店・BLUE創刊号)

1985年、サーフィンブーム真っ只中の時、日本最初のサーフィン雑誌、サーフィンワールドの編集を手伝っていて突然姿を消していた畠山から久々の連絡があった。

「角川文庫からサーフィン雑誌を出すから、取材を兼ねて何処かトリップに行きましょう!」との連絡だった。

畠山は、通称ジッタと呼ばれる男で、良くドジルので「ジッタ」と呼ばれていた。角川文庫は、有名だし久しぶりに、ジッタとの仕事ができるのが楽しみだったので、引き受けることにした。

トリップ先は、まだ行った事がなかった真冬の小笠原の父島に決まり、カメラマンは水口と決まった。
水口は、1976
年サーフマガジンの編集とカメラマンとして働いた。この2人は、日本のサーフィン雑誌の始まりから妖怪の様にサーフィン界に精通した人物なのだ。

この2人とは、76年から90年位までに日本中の波があるポイントと特に水口とはモルジブやフィリッピンに数十回のフォトセッションの旅をした。

そして、この旅のライダーは、その頃のラッシュウェットスーツ社長で、ニーボーダーの川南正と添田博道と俺だった。博道は、確かこの時期華麗なコンペテッションの世界から身を引いていた。

そして真冬の2月14日竹芝桟橋を出発。

小笠原の旅が始まった。濁った東京湾を出て、南の島小笠原目指して千キロの船旅だ。

この島に行くには、ただ一つ船に乗るしかない。30時間の長い船旅を乗りきりやっとのこと父島の地面を踏んだ。

 

Photo Mizuguchi

本土の寒さは無く、生暖かさを感じる島の空気の中、父島で1番サーフィン界に精通してる宮川さんが出迎えてくれた。

Photo Mizuguchi


次の日からサーフィンはスタート。
近くのポイントは波が小さく、波がある所は亜熱帯の植物を感じながら、山道を登って下っての1
時間・・・皆んなクタクタだった。

時間の道のりで辿り着いたポイントは、誰もいない白い砂浜と緑の山をバックに、海の色は真っ青に輝いていた。

Photo Mizuguchi
Photo Mizuguchi

 

何日かこのポイントまで歩いてのサーフィン。この山道では何故か野生化された大きな山羊が人間の数よりも多いのには驚かされた。

 

Photo Mizuguchi

時間の歩きは、かなりの準備運動になり、サーフィンは凄く調子良かった。それにマー坊がシェイプしてくれたファンボートも乗りやすく楽しめた。

Photo Mizuguchi
Photo Mizuguchi

ある朝、宮川さんがボートを出してくれ、島と島の間のチャンネルに波があるかもと誘ってくれたが、波は小さかった為、海から島の景色を眺めたり、釣りを楽しんだりといつものパターンと違う1日だった。

Photo Mizuguchi
Photo Mizuguchi

旅の最終日、夕方まで遊び、夕日を最後まで眺め、いつも行っていた港の前の店のCo Coにお世話になった宮川さん、あんちゃん、フミさん、校長などが集まってくれて、いつもの別れの最後の晩餐会が始まった。

Photo Mizuguchi

帰る日、バンに荷物を積み込み、港に着くと祭りの様な賑わいを見せていた。毎日一緒にサーフィンをしてくれた父島ローカルのサーファーの面々とも最後のあいさつをし、船に乗り込んだ。

さよなら小笠原。

ちなみにこの雑誌は1年間で3号出して廃盤となった。

 

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