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ハナレイの魔物

ハナレイの魔物(カウアイ修行編#2)

少し前の記事でののカウアイ島修行編の続編、2年目を振り返りたいと思います。

ノーリーシュでの教えを、日本でも密かに取り入れ、無人のビーチでただガンを乗りまくる時期が続いた。

ショートボードのコンテストサーフィンを捨て、ただ10.2GUNに、膝波1feetから10feetまで、全てGUNに乗りまくった!

西村栄治さん唐津虎の穴チームとも九州〜四国、関西に中飛び回ってGUNを乗りまくり、GUNの日本文化に触れた。

宮崎のbigwaveシーンの代名詞のカレンズでも自分の乗るポイントを確立したのもこの時からだろう。

日本宮崎でしっかりGUNを乗りまくり自信をつけて2年目のカウアイ島“3ヶ月修行しにいった。

といっても、また唐津のサーフ虎の穴西村栄治さんチームと合流するのだが、今回はそう行かなかった。

今年から栄治さんの息子さん西村晶馬、イチゴと家族で過ごすからと言う事で、カウアイ島で合流するなり、車から降ろされじゃあなと言われた。

じゃあなと言われてもここはハワイでもジャングルの様な道端で下され、「僕はどうすれば?」と栄治さん「ヒッチハイクでもしてどっかで泊まれさ、また明日な」と

一年目は栄治さんチームの鞄持ちでべったりで、地理やホステルの場所なんてわからないし、WiFiもない、どこに居るかも分からない状態から、カウアイ2年目が始まった。

流石、虎の穴チーム、獅子は谷底に突き落とすとはこの事だと勝手に燃えてきて、人生初のヒッチハイクをし始める。

しかし、2時間くらしてもまったく捕まらないコツがいるのだ。

しかも、ヒッチハイカーが沢山路上で、親指を出してる中、日本人が照れながらやっても到底捕まらない。

暗くなってようやく、祈りを込めて一台のトラックに乗せてもらえた、運転手に地理や宿を聴くと、カパーという街の安宿を案内された。

一泊30ドルの素泊まりで、仕切りのない8人部屋で、アメリカンなジャンキーばかり、何故か男にも女にもモテモテだった、よほど日本人が珍しいかったと見える。

それから毎日バスに乗って、bigwaveポイントハナレイに1時間かけていく毎日が始まった。

幸いGUNは、ハナレイビーチの草むらに隠しておけてたので、なんとか身体だけ迎えばサーフィンはできた。

毎日8時前にハナレイビーチにつき、虎の穴チームとノーリーシュでGUNに乗り、帰りは暗くなるので、ヒッチハイクして宿にかえる。

そんな日々が10日くらい過ぎるくらいに、毎日この繰り返しがしんどく感じてきた。

ハナレイビーチで毎日掃除して、ヨガをする東洋人らしい男がいた。

ある日話すと、車で生活して自給自足をしてると言う彼に昼メシなどをつくって貰う内に、僕ももっと自由に過ごしたくなってきた。

彼の名前はサム・ユーン韓国人でオーストラリアに住むシェーパーで子供2人と奥さんと車中泊をして波を追う生活をしている。

何か凄いエネルギーの持ち主で、彼からは色々なサバイバル術を見せてもらった。

車の中には、討ち取った鳥が、首がない状態で、何匹も吊るされていて、野生に育っている、マンゴーやバナナ、ココナッツが常にあった。

その内、地元の先輩小森タカシがカウアイ島に到着して合流した。

小森くんもキャンプを愛していて、車一台とテント生活をするつもりだったので、僕も便乗して、安宿ヒッチハイカーから足を洗う事ができ、キャンプ生活が始まった。

テントを50ドルで買い、飯は何時も小森くんとシェアして、枯れ葉を集め火をつけ、肉や米を炊いてたべた。

カウアイ島は、雨の島とよばれていたため、マンゴーの木の下で寝た、朝4時になるとテントを張ってる周りにニワトリが沢山きて、新鮮な落ちてきたマンゴーの取り合いでニワトリがコケコッコーと泣き叫ぶ。

寝れたもんじゃない。

仕方ないので、僕らも起きて負けじと新鮮なマンゴーを拾って朝飯のパンとコーヒーの準備。

目の前には、無人のパイプラインの様なブレイクする波がずっとわれてる。

カウアイ島は、ハナレイ以外に沢山の素晴らしい波が無人でわれている。

パイプラインやおフザウォールの様な波は何処でもわれている。

波を求めて、島をグルグル、ビーチ沿いでは、5ドルはらえば何処でもテントをはれ、サーフィンを好きなだけできた。

そしてついに、大波がやってくるとサーファーがざわつく。

波情報でも10feetオーバーの波が連日続く。

小森君と僕は、その日あまりの大波に萎縮する、ビーチはなくなりなみが押し寄せる。

何時もノーリーシュコードだったが、その日は流石にリーシュコードをしていこうと2人で話した。

しかし、小森君が直前でやっぱりなしでいくよという。漢を感じた。

僕を震える脚を抑えながら、俺も無しで行くと精一杯の勇気を振り絞って声を

出した。

前回、びびってリーシュコードをして、腹を切った経験があるので、リベンジ戦が2年目できた、ハワイでの屈辱はハワイでしかかえせない。それが海の掟だ。

沖に行くまで、心臓が痛いほど鳴る。

失敗したら、とてもじゃないけど泳いで帰れない。

決めるしかない

今ままでの修行、日本での修行、呼吸を細め集中する。

目の前には、山の様な10feet400mバレルの壁、美しく規則的にわれるが近づくと物凄く早く力ずくよ蠢く。

長い波だが何処からでも乗れるわけじゃない。

乗れる場所は限られてていて、ハワイのGUNのりの猛者が次から次へと乗ってくるし、失敗したらノーリーシュなんで終わりだ。

小森くんと、ジリジリとゆっくりピークに近づくその時、ピークからサムさんがこっちだ急いで!とパドルする様に指示された。

そして、僕らに乗りやすいドンピシャの波がきた。思わず、小森君のポジションがドンピシャだったので“go go”というと最高なテイクオフをきめていった。

次の波まさかの同じような素晴らしい波が目の前にきた。

いい流れの中、我武者羅にパドルした。

完璧のラインでハイラインをキープして400mの壁を滑りきったー。

もう十分だった。

小森君も僕も安堵の気持ちで帰ってきた。

最高にサバイブしていた。

サムさんはまた、違う次元のサーフィンをしていた、それから彼を目標にしたハナレイの修行の日々が続いた。

ハナレイの魔物、それは自分の中にいたのかもしれない。

自分の限界、恐れや、幻想から逸脱して我武者羅になれた事、それを一緒に克服できた経験をした、地元の先輩小森くんと、それを導いてくれたサム・ユーン

僕はこの経験を細胞レベル、染色体レベルで刻まれたと思ってる。

こんな1“the day”がたまらなく好きだし、そしてここに導いてくれた、kisurfboardサーフ虎の穴、西村栄治さん。

何より25年通い続け、それを追い求め背中をみしてくれてるbigwaveシェーパー櫛本さんには感銘しかない。

是非きかいがあるなら、この地にいきノーリーシュコードを試すといい。

サーフィン大波の本質がわかるだろう。

 

bigwaver

山本博也

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