2023.04.17 | DOVE HISTORY
1965年。
16歳の秋に吉浜で初めてのサーフィンをした。それは、それは、衝撃的だった。先生は高校の同級生の山本吉秀だった。それから、サーフィンと言う遊びに狂い、楽しみ、海のリズムに合わせて、地球のエネルギーを感じながら、知らない土地へ行きそこの波に乗り、ローカルと仲良くなり定期的にセッションするようになる。
サーフィンは言葉にならない程の凄さがあって、これから先の人生をサーフィンと離れず、より深く追求するには、サーフィンのビジネスをやるしか無いと思ったのは、サーフィンと知り合って10年が過ぎようとしてた25歳の時だった。
悩み抜いた結果、サーフボード作りはすでに仲間が何人かやっていたので、競合するのが嫌だった俺は、サーフィン専門のウェットスーツをつくる事だと考えた。
この時代、サーフィンのウェットスーツはダイビング屋がつくるダイビング用のウエットスーツか、海外からの輸入物しか無く、種類も
・フルスーツ
・ロングジョン
・ビーバーテール
・ショートジョン
くらいしかなかった。動きは悪いし、重いし、首や脇がすぐに擦れて痛くなり、冬のサーフィンは冷たい海水が遠慮なく身体に入り込んできた。
サーファーである俺は考えた。日本の四季に合わせて、快適に楽しくサーフィンが出来るウェットスーツを自分達の手でつくるしかない!と。
はっきりした目標とプランが出来上がり、直ぐに平塚市四ノ宮に小さな一軒家を借りた。1975年にサーフィン専門のウエットスーツ会社を設立。ダブ・サーフィング・ウェットスーツのはじまりだった。そこには日本のサーフィンの未来を見つめて、情熱と希望と夢が満ちあふれていた。
まず最初に日本の四季を考え、日本人の体型とサーフィンの動きに合う様な型紙つくりからはじめた。
そして、機能的なウェットスーツをつくるために、テスト出来る優秀なサーファーを集めた。小川秀之、小室正則、上杉俊二、青田琢二、添田博道らによって、湘南の波でのテストを繰り返し、フィードバックをもとに製品化した。
これがDOVEのテストライダーのはじまりだった。
と言う事は、日本のサーフィン界のウエットスーツのテストライダーの最初のライダー達ということになるのだと思う。
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